仮住まい

hirayamakunのゲーム専用blog

最深のサイバーパンク 97~02

昔やっていたゲームを真剣に何時間もプレーする。「愛がある」とか「ゲーマー」とか、言われても全く嬉しくない評価をされる。ゲームが上手いと褒められて素直に嬉しかったのは10歳くらいで終わった。今は「俺、なんでこんなことやってるんだろう」という虚しさを得るためにゲームをしている・・・とまではいかないけれど、快楽やノスタルジーだけを求めてゲームをしているわけではない。何ともフワフワした言い方だが、リアルタイムで遊んでから10年以上経ったゲームを遊ぶという機会は意外とない。まるで成長していない、と謙虚になる人は多いが、本当の意味でそれを痛感するには古いゲームをやるのが一番だ。

 

さて、やり直したゲームの日記でもつけるとしよう。最近まで遊んでいたのはカプコンが2002年に出した『ブレスオブファイアⅤ ~ドラゴンクォーター~』だ。『ブレス』シリーズといえば、カプコンRPGブームにも乗るために作り上げたタイトル。既にテンプレートが出来ていたRPGの中では、見事にパッチワークというか、水で薄めたような印象を受けるシリーズだった。コンスタントに続編を出していたが、自分はいずれもスルー。兄や友人が『Ⅲ』や『Ⅳ』をプレーしていたのは記憶に残っているが、既に『FF』と『DQ』、おまけにクエストの『オウガバトル』があったから、こちらに手を出す理由も引きつけられる魅力もなかった。

では何故半端な『Ⅴ』に手を出したのか。それは『Ⅴ』がそれまでのシリーズをバッサリ切り捨て、独自のタイトルになったとも言えるほどの変貌を見せたからだ。これには食指が動いた。音楽も外部のコンポーザー(『オウガバトル』などの崎元仁氏)だったのも大きい。
イメージチェンジの反響は大きかったようで、海外ではサブタイトルの『ドラゴンクォーター』という名前で出ており、旧来のファンも完全に別物と判断していた。これだけで過去のファンは離れたが、新規のファンも確実に増えたはずだ。少なくとも自分はおすだった。過去作は結局やってないけど。

 

従来のシリーズは典型的国産RPG、ふんわりと中世や魔法といった要素を並べただけのものだった。『Ⅴ』では一転して、近未来を舞台としたSF的な世界にシフト。舞台は広大な地平から、底なしの地下へと移った。人類が地下へと移住して云々という設定は、アシモフの『はだかの太陽』などに代表される鉄板設定だが、当時中学生だった自分には弐瓶勉の『BLAME!!』がダブった。『BLAME!!』も『ドラクォ』もややマイナーな上、どちらにも精通している人は少ない。が、少なからずこれに言及している人も当時からいた。SNSが普及してもこうした話題を呟く人が何故か少ないので、今回はこれらの類似点をまとめていく。

世界設定もキャラクターも

第一に挙げられる共通点は地下の世界が舞台である点だ。どちらも災厄によって世界が変貌したバックストーリーを持って物語が始まっている。『BLAME!!』は詳しい説明こそないが、人類がテクノロジーを制御できなくなった背景がある。『ドラクォ』の場合は地上から地下へと人間が退避して、そのまま文字通りの階層社会になってしまったというものだ。
キャラクターのモデルにも影響が見てとれる。まず『BLAME!!』の主人公である霧亥は、詳しい説明こそされていないが(長い間読んでいないので忘れてるだけかもしれない。指摘求)、治安を守る組織の一員として活動していた過去を思わせる描写があった。対して『ドラクォ』の主人公(ここではデフォルトに沿ってリュウとする)は、地下世界の中でも治安が悪いエリアを取り締まるレンジャー組織に所属している。また、ヒロインのニーナは生体改造を受けており、手術を施した「バイオ公社」は『BLAME!!』の「生電社」と重なる。

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容姿は似通っていないのだが、こうした設定と地下世界という舞台だけでも当時から連想は避けられなかった。余談だが、数年後にガイナックスが発表したアニメ『天元突破グレンラガン』は地下の世界が(序盤だけ)舞台であり、主人公の容姿が若干『ドラクォ』のリュウを連想させるものだった。邪推でしかないが、個人的によく覚えているインプレッションだった。

もう一つ設定で似通っている部分がある。それは社会をネットワークに見立てた視点が存在することだ。『BLAME!!』のキーとなる設定は「ネット端末遺伝子」で、暴走したネットワークがハードウェア(構造物)の世界を生きる人々を監視するという設定がある。SF伝統の設定ではあるが、古典に加えて連載していた97年という時期はインターネットが普及し始めた頃で、こうした設定はそこまで珍しいものではなかった。例えば98年には『Serial experiments lain』など、「ネットワーク」を題材にしたものはいくつも確認できる。『BLAME!!』もこうした時勢とサイバーパンクの洗礼に基づいたヴィジョンを描いたわけだが、『ドラクォ』にもそれは反映されていた。この手のジャンルは主人公側がシステムの破壊を企てることが殆どで、『ドラクォ』も例に漏れずリュウが地下から地上を目指すのは、自分にプログラムされた(正確にはプログラムされたドラゴンという存在がリュウに接触した)命令に従っているから、という指摘が執拗に繰り返される。『BLAME!!』のドライな感触はバラードの『クラッシュ』といった作品にも近いため、『ドラクォ』とは違う熱を帯びていることは明らかだ。しかし、こうまでディティールがニアミスを起こしている作品はなかなか見られない。ましてや、過去のシリーズのイメージを壊してまで実現するとは。「世界を壊す」とは、もはや珍しくないテーマではあるが、シリーズものである『ドラクォ』がやってみせたことは、それまでの劣化コピー(これこそ『ブレス』シリーズがこき下ろされる時に使われる言葉だ)より挑戦的であった。願わくば、弐瓶氏に1話分でもいいからコミカライズして欲しいと願うばかりである。

見直していないため、訂正含めて続きます。