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仮住まい

hirayamakunのゲーム専用blog

ジョジョ『黄金の旋風』を思い返し遊んでみた

PS2 ジョジョの奇妙な冒険 ジョジョ

前回に続いて『ジョジョ』ゲーなわけだが、『ASB』以降のものにはまともに触っていないので書くこともない。『未来への遺産』ついでに『黄金の旋風』を少しだけやり直してみたから、その感想を記しておく。

これは自分が初めて触ったPS2のタイトルでもある。本体の価格が下がったことから兄がセットで買ってきたのだ。原作は既に読んでいたために、答え合わせの様に遊んでいたが、原作の省きっぷりに驚きながらも楽しんでいたような気がする。しかし、逸れも一周くらいで、後は原作ゲーにお決まりのオミットにわざわざ難癖をつける程度の存在だった。長い時間が経って遊び返してみると、まぁ頑張ってまとめたのだなという努力が汲み取れて、ちょっと新鮮だった。が、今度は当時余り気にならなかったゲーム部分の粗を見つけるようになってしまい、正直時間が惜しいと感じて途中でやめてしまった。なら最初からやるなという話なのだが。

先に良い点を挙げると、シナリオの整理(ゲーム部分から省かれたエピソードもサウンドドラマで精一杯の補完)、テレビアニメ版よりも良く出来ている擬音はじめとしたマンガ的描写、BGMと各キャラクターの声など雰囲気が良い。これだけ出来ていればキャラゲーとしては充分だろう。シンプルな格闘ゲームにはしにくい第5部を題材にするなら、今回のような三人称視点は正解だろう。
シナリオのまとめ方は、そりゃ「キング・クリムゾンvsメタリカ」が省略されているのはショック(ボイス自体は録っていたようだ)だが、ここまで凝ってしまうと初見のプレイヤーが混乱してしまうからという配慮もあるのだろう。チーム・ブチャラティの面々の過去も一切なし、「いまにも落ちてきそうな空の下で」もカットしたのは統一させるための英断とも思える。
ジョジョ』のように細部にまで拘るファンが多い作品をゲームにする場合、問われるのは再現の範囲とそれが出来ない際の埋め合わせだと考えている。再現に関しては限度があるけど、採用するか否かの線引きにスタッフの性格が出ていて面白いと感じる場面が多々あった。例えば、「ホワイトアルバム」のくだりで、戦闘終了後のミスタとジョルノのやりとりを目撃するナランチャ、といった具合。『未来への遺産』でポルナレフとアヴドゥルの連れションを再現したり、アヌビス神に乗っ取られた床屋が使えるなど、想像から逸れる試みも今見直せばささやかな気遣いだったのかもしれない。
埋め合わせ二間しては、原作にない部分をゲーム側が作って、オリジナルに挟まれても違和感がないような演出からそれがわかる。『未来への遺産』では原作起しでないアニメーションもあったが、『ジョジョ』らしいものばかりで今見直すと感心する。『黄金の旋風』でも「レバガチャ」のアイコンは良い仕事だ。こんな添え物程度のものにだって執着が宿る。

 

気になった点を挙げていくと、やはり作業感が否めないゲームパートは、今やり直すと苦痛でしかなかった。相手に攻撃する時もひたすら無駄無駄アリアリ→こづく→また無駄無駄アリアリというパターンが一番効率的というのも見た目が厳しい。シークレットファクター(原作再現をゲーム中で行なうことでポイントが入る。貯まると隠し要素解禁が近づく)もイベントになっているものならともかく、わざわざやる必要性のない動作になっている場面が多い。体力の回復も兼ねているから無駄ではないのだけど。
全ての動作が攻撃にしか結びつかないのも勿体無いと感じた。例えばジョルノの植物を作り出すコマンドならば、それを手綱にして高いところに昇るとか。キリのない想像と要望だが、スティッキ・フィンガーズはジッパーで高速移動するなど、よく出来ていた。ムーディー・ブルースは『未来への遺産』のタンデムアタック(動作を記録してスタンドに自動攻撃させる)を踏襲した攻撃を持っており、ゲームならではの要素と言える。ステージを広くすると収拾が付かなくなるが故に、こちらが出切る動作も限られてしまったのが窮屈に感じる所以だろうか。格ゲーである『未来への遺産』はあらゆる動作や原作ネタが攻撃になっても面白いし納得できるのだが、ステージを駆け回るのも醍醐味である『黄金の旋風』はもっと遊べる余地があったのではないかと、15年経った今になって思うのであった。

コブラチームの3部ゲーのように時代ゆえに許されるものは作れないだろうし、『ASB』や『アイズオブヘヴン』のようにキャラクターを詰め込むことに特化した(と聞いているがどうなのだろうか?)やり方が一番無難になってしまっている。最初に『黄金の旋風』を遊んだ時は4部をこのスタイルでも遊んでみたいと思ったが、あらゆる面で供給過多な今では、ゲーム化を素直に受け止められなくなってしまっている。こう考えてしまうと、少なくとも自分の中では『ジョジョ』も一昔前のタイトルになってしまったのだ。『ジョジョリオン』をオールスター的な要素を省いた、淡白なゲームにするなら期待してしまうかも。